NHKBS1スペシャルで銀行が特集されました。
内容をざっくりいうと、
- 中国から帰化した夫婦が営む中華料理屋が舞台
- コロナ禍で売上が減少し家賃も払えない状況
- 信用金庫の職員が資金繰りに窮する個人事業主を救うため奮闘
こういった内容なのですが、結構今の銀行を結構象徴しているんじゃないかなーと感じたので感想をまとめます。
目線としては、これから銀行に就職を考えている(特に地銀、信金など)就活生や、入社して2〜3年くらいの人が今後銀行でどう働いていくか ?を考える、というイメージです。
信用保証協会付融資は実質、受付事務
国は事業者向けには持続化給付金などメジャーなものとあわせて、今回のセーフティネット保証はリーマンショックや東日本大震災時と同様にパッケージで提供しています。
新型コロナウィルスの影響でビジネスの流れが止まりましたので、こういった資金支援は超重要ですし制度自体に何かを言うつもりはありません。
でもなんかですね、番組をみると、実質的に「給付事務員」としての朝日信用金庫の営業マンの側面が強くて(番組の趣旨上仕方ないのですが)、しばらくはこういった事務マンとしての仕事が続くんだろうなーと感じました。
事務は大事な仕事ですし、困っている取引先を助けなければなりません。でもなぜか、少しモヤモヤするものがありました。
セーフティネット保証は融資ではなく補助金
法人向け融資は大きく2つに別れます。ざっくり保証協会がつくか、つかないか、です。
信用保証協会は実質的に政府機関で、国が連帯保証人になります。乱暴な言い方をすれば、国にお金を貸しているようなものです。
これによって銀行は貸し渋りをせずに、安心して中小企業にお金を貸すことができます。
かつて銀行の貸し渋りが問題になりました。今は国の保証がついた引当を計上しなくてよい正常債権(銀行の収益にプラスになる)を増やすべく、リーマンショックあたりからイケイケドンドンですね。
本当にお金が借りやすくなっていると思います。
番組のように、個人事業主にフォーカスがあたると「コロナで困っているのだから当たり前だろ」となるのですが、銀行の経営者の収益の目線からすると、正直助かっている面もあるでしょうね。
今、銀行にできることは「せっつくこと」
ちょっと話が大きくなりましたが、融資事務に携わっている従業員の目線に話を戻します。
保証協会付融資は実質補助金である以上、ここでの融資担当者は給付金事務員です。
何が言いたいかというと、貸す貸さないの決裁権限は保証協会側にありますので、この状況下において、銀行員としては「あの案件、どうですかねー、あ、忙しいですよね、でもちょっとだけ・・・優先順位を上げてくれませんかねー、、、」とせっつくしか無いということです。
実際に放送では、担当者の上司が直接保証協会に朝日信用金庫本店からチャリで出向き「よろしくね」と頭を下げに行くシーンがあります。
もちろん、こういった仕事も大事かとは思うのですが、保証協会付融資にしかフォーカスがあたっていないためか、「もう少しできることあるんじゃないのか」とテレビを見ながら一人悶々としていました。
保証協会付融資が続くなかで、銀行員のやりがいを考える
2020年7月現在、新型コロナウィルスの収束が見通せない状況です。補助金融資に頼らざるを得ない状況が続くと思われます。そうなったとき、若手行員はどう考えるか、ここを考えます。
よほどのことがない限り保証協会審査で否決はされないでしょうから、担当者はお客さんに感謝されるでしょう。無利子でこんないい商品ありがとう、と。
銀行としても優良債権ゲット、担当者としても新規貸出先ゲットになりますから三方良しですね。
でもそれでいいのか、それだけでいいのか、とも思います。もう少し、自分の知恵を発揮して支援ができないのか、ということです。
大変な状況下でやりがいなんて、というところですが、このような事例をみて、銀行員サラリーマンとしての限界を感じるポイントってあるんじゃないのかなと思うんです。
銀行員では具体の支援が難しいです。金を貸すのは簡単だけど、事業内容にまで踏み込んだ支援は、なかなか支店の銀行員には難しいし、頭を悩ませる時間もありません。
まとめ
とりとめなく書いてしまいました。
業務の最前線の朝日信用金庫の職員においては本当に大変だと思います。
でも、今回は社会のなかの銀行としての役割といった目線ではなく、一個人としてこのような融資業務に携わったとき、自分ならどう考えるか、今後の展望はどうか、といったことを少し考えました。
コロナ以前は、メガバンクを除けば目下低金利競争、オーバーバンク問題、事業コンサルフィービジネスへのシフトなどが話題でしたが、完全に潮目が変わったことで2008〜2013年くらいの業務に戻りそうですね。
何かが大きく変わるときは、チャンスでもあります。現場で忙殺されるなかであっても、なんらかの展望を持っていたいものです。